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混迷する現代人を支えるのは「劇場」が発信する多様な創作と価値観

ラインアップを貫く劇場の「カラー」

世田谷パブリックシアターとシアタートラム、二つの劇場の新たなシーズンが始まります。

この劇場を自身のホームのように捉え、コンスタントに創作の場としてくださるアーティストとの創作、若手の登竜門的な公演、新たなアーティストとの出会い、区民を中心に劇場を支えてくださる多くの方々との交流企画など、今年もバラエティ豊かで創作性に富んだプログラムを用意することができました。

劇場のスタートは1997年。そろそろ20周年も視野に入りはじめた今年のラインアップは、この劇場がこれまで多くの創作、作品を通して表明・蓄積してきた劇場としての個性、いわば「カラー」を象徴するもの、と言えるのではないでしょうか。

では、18年の間に二つの劇場が身にまとってきた「カラー」とは、どういったものなのか。

たとえば昨年は、文学座の上村聡史さんを演出に招いた『炎 アンサンディ』という翻訳劇を多くの方に評価していただきました。

あるいは劇場を代表する企画である『現代能楽集』。古典の題材を現代のつくり手と出会わせ、創作の中でその普遍性と現代に上演する意義を問い直す、このシリーズから生まれた『奇ッ怪 其ノ弐』(前川知大 作・演出)のような、劇場のオリジナル作品が広く耳目を集めた年もあります。

さらには同じ古典を題材にした私自身の構成・演出作『マクベス』(2010年初演)を、一昨年、昨年と続けて国内外各地で上演することができ、多くの方々に見ていただく機会を得たという成果もありました。

一方で今年10月に久々に新作で登場するロベール・ルパージュや、『エレファント・バニッシュ』『春琴』で共同創作を重ねたサイモン・マクバーニー、振付家ジョセフ・ナジなど、海外のアーティストとの継続的な創作、上演も、その完成度において常に好評をいただいております。

このように並べていくと見えてくるのは、この劇場の「カラー」が決して一つの色ではないということ。そもそも同一劇場の発信でありながら作品の傾向、ともに組むアーティストの志向、企画がめざすもの、ご覧いただく観客の年齢や性別などまで、公演ごとに違うと言っても過言ではありませんし、古典に基づく王道的な作品もあれば、時代に即した、あるいは先んじた実験的・先鋭的な公演もある。そんな多種多様な作品群を大らかに受け入れ、揺らぐことなく観客に提供し続ける懐の深さ、土台の確かさがこの二劇場の特徴であり、それを踏まえた創作の多彩さが、劇場を見る角度によって変わるタマムシの体色のような色彩で染め、結果それが劇場の「カラー」となっている。芸術監督として、私はそんなふうに考えているのです。2015年度はそんな、劇場の蓄積を多面的な「カラー」として表出する作品群をお届けできると自負しています。

考えるべき価値ある題材を多くの人に手渡すために

古典芸能と現代劇、東洋と西洋。一見、相反するベースを持つ題材、人材、センスなどをマッチングし、そこに生まれる反発や融合など、さまざまな化学反応を創作に取り込み、一方だけでは成しえなかった豊かな表現を作品とし、観客に提供する。これは、私が芸術監督になった当初から掲げてきた指針です。結果、当劇場が創作の上でも、足を運んでくださる観客においても、幅広い多様性を獲得していったことは必然と言えるでしょう。

とはいえ、個々の作品が万人向けかと言えば、それは違うかもしれません。表現の世界ですら、これほどまでに多様化、細分化が進んだ現代社会において、「万人向けの作品」をつくることなど、もはや不可能に近いことではないでしょうか。

ただ、提示する作品が一定のクオリティを持ち、提供する劇場に確固たる指針があれば、作品はジャンルや世代を越えて、より多くの観客に訴求する。それは私自身が、この劇場で多くの創作と観客に向き合うなかで得た実感です。もちろん「クオリティ」のなかには、芸術性や問題意識、現代に上演する意義といった高次のことだけでなく、エンターテインメントと呼ぶにふさわしい面白さまでが含まれているべきだと思います。

作家である故井上ひさしさんが遺した言葉に、「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに」というものがあります。これは非常な名言で、つくり手も観客もともに考えるべきものを内包する確かな題材を選び、それをいかに多くの人に届く作品にしていくか、その思考の過程が凝縮された言葉だと私は思いました。

先に挙げた『現代能楽集』や、演劇としての狂言、その普遍性と現代性を検証する『狂言劇場』などをはじめ、世田谷パブリックシアターとシアタートラムの作品も、先の言葉が示す高い志のもとに創作されている、と常に胸を張って言えなければならない。だからこそ、新たにこの劇場と出会うアーティストたちも、この場で何をつくるべきか、今までの自身の創作を振り返りながら見つめ直す機会にもなるはず。実際、他所でも活躍されている複数のアーティストから「この劇場で創作する際にはいつも、社会性の高い、鋭い視座を持つ作品を選びたくなる」というような、ありがたい言葉もいただいています。これもまた、劇場の一つの「カラー」と言えるのではないでしょうか。

公共の劇場である以上、アーティストと観客の区別なく関わる方すべてに、なんらか持ち帰っていただけるものがあるべきだ、と私は考えています。それは私にも、劇場のスタッフたちにとっても高いハードルですが、そのハードルがあったからこそ、今のこの二つの劇場に対する認知がある。指針は、今後も変わることはありません。

演劇を「人生」に活用する普及啓発・人材養成事業

もうひとつ、各種のワークショップを中心とした普及啓発・人材養成プログラムの数の多さ、充実度の高さもこの劇場の特色として挙げたいと思います。劇場が立地する世田谷区が、アウトリーチ活動に関心の高い方々を多く擁していることもあり、学校や高齢者施設を巡回する演劇プログラム、区民の方々にご参加いただく企画ともども、長く好評をいただいてきました。

子どもたちなど若年層に限らず、新たな観客の発掘と育成はこの国の演劇、舞台芸術界に近しい者にとっては現在も最重要課題のひとつですが、それだけでなく、昨今の荒廃した社会状況を改善するためにも、これら普及啓発・人材養成プログラムが有効だと私は考えています。

今の日本は、下向きの経済状況が問題視されつつも、戦時下にあるような諸外国に比べれば、日々の暮らしにいきなり窮することのない層が多いとされています。にも関わらず、近親者間での傷害や殺人の増加、暴力事件の低年齢化など、深刻な現象が日々報道されています。

「生活することがすべて」ではない日本で、何故このような事態が起こっているのか。私には、経済や物質的な充実を追うあまり、精神的な豊かさをないがしろにしたことに原因があるのではないかと思えてなりません。この国は今、「生きるため」よりも「死なないため」の糧や方法を探しながら、多くの人が迷走している。そんな混迷する人と時代にとって、演劇や劇場の果たしうる貢献は非常に大きいと私は考えています。

劇場に足を運び、種々の創作を目にするという行為は、あらゆる角度から自身と他者の「生」を考えることになる。鬱屈した自身の感情を役や物語に託し、昇華させることもできる。舞台上の出来事を受け取り、想像を広げることから、目の前の窮屈な現実に縛りつけられた生活から自由になる術をも得られる。

さらに踏み込み、先述のワークショップなど創作に能動的に参加し、自ら体験・体感したならば、身近なところにも異なる価値観が無数にあることに気づき、それまでとは違う観点から自身と、周囲の人々が「生きること」を肯定できるようになる。疲弊した人と社会にとって、これほど有効なことは他にはないように思います。

人間には当たり前に得手不得手があり、それが各人の個性にもなっている。多彩な人々の中で、いかに自身のアイデンティティを確立し、社会とどう向き合い、参加するか。社会に参加する一員としての自身に、自分でどのような価値を見出すことができるか。ただ日々を労働に費やし、衣食住といった生活の基本要素だけに汲々とせず、世界に向かって開かれた自分であるためには何が必要か。

それらの問いに対する答えが、劇場と、そこから発信されるあらゆるもののなかにあると私は考えています。あるいは、それらの「答え」を持っている劇場こそが私の理想である、と言い換えてもいい。

前述のように得手不得手のある人間が集まり、創作ごとに一人の人間の発想を、多くの別の才能を持つ人が助け、盛り立て、一つの作品へと結晶させることが劇場の日常です。私自身、ここで多くの助けを得て、自身の理想・夢想を実現させてもらっている幸福な人間の一人ですが、同じような幸福を得るチャンスが、ここ三軒茶屋にある二つの劇場に関わる人なら誰にも等しくあるのです。そのチャンスを、世田谷区民のみなさんを筆頭に、もっともっと多くの方に手にしていただきたい。それが今の私の大きな願いです。

新年度の所信を託す『敦 ―山月記・名人伝―』

 

今シーズン、最初に私が中心として関わる公演は6月の『敦 ―山月記・名人伝―』で、芸術監督に就任後ほどなくしてつくった05年初演の作品です。

20世紀前半、病を抱えながらも文学を通して人間とは、生死とは、己自身とは何かを問い続け、若くして世を去った作家・中島敦の短編をもとにした舞台は、先にお話しした生きるために必要なもの、その「答え」を見つけ出すためのヒントに満ちており、多くの人が自身を探しあぐねる今、上演するには最適の作品だと考えています。時代を取り込みつつ進化&深化し、普遍性を獲得していく。そんな、劇場を象徴するような今作に、新年度の所信表明と、ラインアップ作品へのエールを託し、演じたいと思っています。

野村 萬斎 のむら まんさい

1966年、東京都生まれ。狂言師。人間国宝・野村万作の長男。重要無形文化財総合指定者。2002年より世田谷パブリックシアター芸術監督を務める。国内外の能・狂言公演や舞台・映画出演はもとより、世田谷パブリックシアターでは『まちがいの狂言』など狂言の技法を駆使した舞台や、『国盗人』など古典芸能と現代劇の融合を図った舞台を次々と手掛ける。芸術監督就任後初の構成・演出作『敦 ―山月記・名人伝―』では朝日舞台芸術賞、紀伊國屋演劇賞を受賞。構成・演出・主演を務めた『マクベス』は全国各地で上演を重ねるほか、海外公演(ソウル、ニューヨーク、シビウ、パリ)も果たした。

 


 
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