關於部落格
  • 24768

    累積人氣

  • 0

    今日人氣

    0

    追蹤人氣

和泉流狂言師・野村萬斎 古典とともに未来へ疾走

いつ会っても心ときめく人がいる。

 私にとって、和泉流狂言師、野村萬斎(49)こそ、その一人だ。

 インタビューでは、答えは常に本質に迫る深さがある。舞台も、本業の狂言からギリシャ悲劇、三谷幸喜(54)の現代劇まで振り幅は尋常ではない。

 第一、伝統芸能の世界で、これほど多メディアにわたって八面六臂(ろっぴ)の活躍をしている人も珍しい。世田谷パブリックシアター(東京都世田谷区)の芸術監督として時代に先駆けた企画を次々に送り出してもいる。

 表現者でありながらプロデューサーであり、芸術を俯瞰(ふかん)して見つめる目も併せ持つ。もし、「萬斎」という才能が出現していなかったら、今の狂言を取り巻く状況は少し違ったものになっていたかもしれない。

 初めて会ったのは二十数年前だ。まだ襲名前の「野村武司」時代だった。当時からスマートな風貌、知的な話しぶりだったが、1年間の英国留学から帰国後は一段と才気ほとばしる、という感じに成長を遂げていた。

                   □

 萬斎の舞台を見たり、インタビューしたりするのは、どこか“踏み絵”のような恐ろしさがある。

 この人の考えていることをどれほど分かっているだろうか。この人の舞台を自分はどれほど面白いと思っているのだろうか。

 質、普及、継承など課題が渦巻く現代の古典芸能界の真っただ中にいる彼と、境界線のこちら側で何とか古典芸能の今を伝えたいと思っている私との、それは“勝負”ではないかと、勝手に夢想しているからかもしれない。

 萬斎が創造した舞台に「敦−山月記・名人伝−」があった。夭折(ようせつ)の作家、中島敦(1909〜42年)の小説世界に自分を見失った現代人の姿を重ね合わせ、狂言の手法を大胆に用いて描いた舞台だった。

 斬新だったのは、ただ古典の手法を使っただけではない。本人が「アンドロイドのように大勢の敦が出てくるんですよ。映画『マトリックス』みたいにね」と言っていたように、既成概念にとらわれない演出が新たな演劇の地平を切り開いたからだ。

 それでも、彼の根底にあるのは幼い頃から厳しい修業を積んだ狂言の様式や演技術ではあるまいか。そんな最強のカードを持ちながらも狂言の枠組みを乗り込え、未来に向かって疾走する姿に古典芸能の可能性を賭けてみたいと思ったのも確かである。

                   □

 萬斎は15日、国立能楽堂(東京都渋谷区)で開催される「萬歳楽座(まんざいらくざ)」で、古典の最奥の曲「狸腹鼓(たぬきのはらつづみ)」を勤める。

 和泉流の伝承曲でも「一子相伝」とされ、最も重く扱われてきた秘曲。子をみごもった雌狸が、夫を捜すため尼に化けて出掛けると、猟師と鉢合わせる。雌狸は釈迦(しゃか)の教えを引いて殺生を思いとどまらせようとするのだが−という内容で、大曲「釣狐(つりぎつね)」の狸版という趣の曲である。父で人間国宝の野村万作(84)は森田流の笛の音色を使ったが、萬斎は藤田流の少し物悲しい音色で演じる。

 「古典はまだまだ生きている」。萬斎の力強い言葉が胸に突き刺さった。(亀岡典子)

 
相簿設定
標籤設定
相簿狀態